チョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』感想・レビュー・書評

映画より小説を読むべき

半年くらい前に見た映画「82年生まれ、キム・ジヨン」の原作を読みました。リンク先のレビューに書いたことは間違っていなかったです。

そのレビューに書いていることは、キム・ジヨンが憑依状態になるまでの過去がエピソードとしてしか描かれておらず、キム・ジヨンの追い詰められた状態の必然性が感じられないということでした。

原作を読むとそれがよくわかります。原作で描かれているのはキム・ジヨンがたどってきた過去、人生そのものです。この小説を読んだ読者が自分を重ね合わせるということがとてもよくわかります。

この小説には女性たちが浴びせられてきた女性差別の現実のあらゆることが記述されています。その辛さがわかれば憑依にも納得がいきます。映画では憑依そのものが強調されすぎています。小説に書かれていることは長くて辛いキム・ジヨンの歴史です。

小説の構成は、まず「2015年秋」から始まり、妻キム・ジヨンの異変に気づいた夫チョン・デヒョンが精神科医に相談し、そのカウンセリングの記録としてキム・ジヨン誕生の1982年から2015年までが4章に分けて三人称視点で描かれ、そして最後に「2016年」の章としてキム・ジヨンをカウンセリングしてきた精神科医の一人称視点で自分自身のことが語られるという構成です。

最後の「2016年」の章がこの小説の肝

で、この最後の「2016年」の章がなかなか曲者で、映画では医師は女性だったと思いますが、実は男性医師で、自分の妻は優秀であったにもかかわらず教授となるのもあきらめ、勤務医となるも出産のために辞めざるを得なかった経験をしていると語り、なのでキム・ジヨンのことはよく理解できると言いつつも、結局のところ「理解ある男性」以上ではないことが描かれている章なんです。

子どもが小学校へあがり、妻はやっと一息つけそうだと言います。詳しくは書かれてはいませんが、この精神科医の場合も妻が働きながらベビーシッターを雇うなりして子育てをしてきたようです。精神科医はそのことに疑問など感じていません。

小学校で事件が起きます。子どもが友だちに手の甲に鉛筆を突き刺したのです。妻が、担任は注意欠陥・多動性障害(ADHD)ではないかと言っているというのに対して、精神科医は「違う、僕は精神科の専門医だよ、僕の言うことが信じられない?」と言います。妻は

診断は患者に会って目を見て話を聞いて下すものでしょ。1日に10分もあの子と一緒にいないあなたに何がわかるの? その10分だって子どもじゃなくて携帯を見ているのに。

と返すのです。さらにその後、精神科医は「そのころ私は病院の拡張移転のため本当に忙しかった」と言い訳を言っています。

と、妻とのことはまだ他にもあるのですがそれは読んでいただくとして、この章の最後が締め方、つまりはこの小説の最後なんですが、そこに作者の気持ちのすべてがにじみ出ています。

精神科医の職場、イ・スヨン先生が妊娠し状態が安定しないために退職することになります。精神科医は、辞めなくてもしばらく休めばいいのではないかと思っていたが、考えてみれば、出産時にまた休むことになるしその後も子どものことなどで面倒になるかもしれないので辞めてもらってよかったかなと思うと考えるわけです。

そして、

もちろん、イ先生は良いスタッフだ。顔は上品できれいだし、服装もきちんとしてかわいい。気立てもいいし、よく気がつく。私が好きなコーヒーのブレンドやエスプレッソ量もちゃんと覚えていて買ってきてくれたりする。(略)
いくら良い人でも育児の問題を抱えた女性スタッフはいろいろと難しい。後任には未婚の人を探さなくては…。

と終えています。

キム・ジヨンの33年間

2章から5章はキム・ジヨンの33年間が時系列で書かれています。1章から三人称視点のまま続きますし、内容が祖母や母親の生い立ちにまで及びますのでとてもカウンセリングの記録という感じはしません。

とにかくキム・ジヨンだけではなく祖母や母親を含めた女性たちが男女不平等という価値観の中で生きている様が描かれていきます。特に祖母や母親の時代は不平等どころか男尊女卑という言葉が適当と言える時代です。祖母などはそれに疑問をはさむこともなく、むしろ息子がよくしてくれているとか、嫁(キム・ジヨンの母)には男の子を産まなくちゃだめだよと言ったりし、キム・ジヨンが弟のものに手を出そうものなら叱りつけるということになります。

小学校から中学あたりまではあまりこれといったことはありませんが、男の子の意地悪に辟易しているのに「あの子はジョンのことが好きなんだよ」いう教師がいたり、中学に入れば女子だけより厳しく校則で縛られる様子が書かれています。

予備校の同じクラスの男子に付きまとわれて父親に迎えにきてもらうと逆に父親に叱られるという話は映画でも使われていました。

さすがに大学時代にもなりますと2000年代になりますので、露骨な男尊女卑的な描写はありませんが、それでも男からの侮蔑的な言葉を投げつけたりします。

そして就職という段になりますと、とたんに社会の男女不公平を肌で感じるようになります。そもそもの2005年の女性採用率が29.6%ということです。

男子学生が優先的に推薦されていることに抗議した先輩に対する学科長の言葉、

女があんまり賢いと会社でも持て余すんだよ。今だってそうですよ。あなたがどれだけ、私たちを困らせてるか

であるとか、部長クラスに女性がいないとか、育児休暇は何年かと質問したら、そんなひと見たことないからわからないと答えられたとかが先輩の話として続きます。

キム・ジヨンは43社に願書を出すも書類選考さえ通過できず、そして初めて面接(3人同時)となった会社ではセクハラにあったときの対応を聞かれ、理由をつけてその場を離れる、注意をし止めなければ法的措置をとる、自分の服装や態度に問題はなかったか振り返り誘発しないよう気をつけるという就活ハウツー本のような三者三様の答えをしたなどというところもあります。ちなみにキム・ジヨンは最初の答えをし、結果は3人とも合格はしていないとあります。

で、なんとか広告会社に就職することになります。ここからがこの小説の一番内容の濃いところでしょう。

社員50人くらいで管理職は男性がほとんどであるにしても全体では女性社員のほうが多い会社です。キム・ジヨンが尊敬するキム・ウンシル課長(女性)もいます。現実的には比較的いい環境ということなんでしょう。

ところが些細なことや直接経験したことではなく聞いた話などがじわじわとキム・ジヨンの心に浸透していきます。さらにクライアントの男性からの女性蔑視やセクハラ行為、会社での昇進の男女差別、給料の男女不公平とキム・ジヨンの気持ちを萎えさせることが続きます。

結婚します。したはしたでキム・ジヨンの疑問は増えるばかりです。夫とは同じ頃に社会に出ているのに夫の貯金の多さに驚きます。給料自体が違うのです。そして婚姻届を出す際の子どもの姓と出生地の選択、夫の親からの子どもはまだかプレッシャーと続きます。キム・ジヨンに不妊の原因があるかのように言われます。そうしたときの夫の態度も我慢できなくなります。

夫が子どもを持とうよと言います。「僕も手伝うからさ。〇〇もするし、〇〇もするし、〇〇もしてあげるから」と。そして、キム・ジヨンが育児や出産後に仕事を続けられるかなどの不安を話しますと、「でもさ、失うことばかり考えないで、得るものについても考えてごらんよ、親になることがどんなに意味のあることか。それに君にお金を稼いでこいとは言わないから」と。

キム・ジヨン「それで、あなたが失うものは何なの?」

キム・ジヨン「それに、私、あなたに言われて仕事しているんじゃないよ。面白いし、楽しくてやっているの」

しかし、結局、子どもを持つことにし、会社を辞め、ワンオペ育児となります。

そして映画にもあった公園での「ママ虫」の話があり、キム・ジヨンの話は終わります。

映画のようにキム・ジヨンが言い返す場面はありません。盗撮事件の話は会社の同僚がやってきて話してくれますが、キム・ウンシル課長が独立する話や働かないかと誘われる話もありません。

結局この小説で重要なところは、絵面をイメージしてはっきりするところではなく、見た目に変化のないキム・ジヨンの心の変化ですのでその点では映画にしにくいんでしょう。でもそれこそがやらなくてはいけないことだと思います。

女性が働きやすい国ランキング

最後に、イギリスの経済誌「エコノミスト」が発表した主要な29か国の女性が働きやすい国ランキングです。

82年生まれ、キム・ジヨン(字幕版)

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