小手鞠るい著『炎の来歴』 正論だけれども現実感の乏しい平和ファンタジー

炎の来歴

炎の来歴

 

 

小手鞠るいさん、はじめて読みます。

 

なかなか、著者あるいはこの小説のポジションといいますか、どの視点から書いているのかが定まらず、面白いなあと思う反面、なんか変だなあ、ふわふわと地に足のつかないような現実感のない感覚に、最後まで戸惑いながら読み終えました。

 

時代背景は戦後すぐの1950年くらいから1966年までで、主人公は、岡山から上京し、働きながら早稲田の第二理工学部(夜間)進学を目指す18歳か19歳くらいの青年KITAGAWA(北川?)です。北川は、同郷の早稲田に通う先輩が借りている六畳間の隣の四畳半を借りて暮らすことになります。

 

ある日、北川は、自分宛ての郵便の中に先輩宛のエアーメールが紛れ込んでいるのを見つけ開封してしまいます。その理由は、その先輩が勉強もせず遊んでばかりいることや、毎日のように女を連れ込んでその声で夜も眠らせてくれないなどの恨みつらみがたまっていたからです。

 

手紙の差出人はレナータ・ヴァイスとあり、早稲田の教授からの紹介で手紙をしていること、そして、自分が勤める図書館で開く日本に関する講座の資料を送ってくれないかというものです。

 

北川は後ろめたさを抑えつつ、必死で辞書を引き引き読み通し、返信します。資料は、坂口安吾、椎名麟三などとともに大田洋子『屍の街』や『きけわだつみのこえ』の紹介文を送ります。

 

大丈夫?ばれない?と思いますが、次なる展開はこうなります。

先輩が事件を起こします。隣の六畳間で女が自殺騒ぎを起こし、先輩は行方をくらましてしまうのです。大学は休学状態、学費は去年から滞納、仕送りは全て遊蕩に使っていたというのです。

 

と、ここまでが物語の発端です。

 

正直、ここまでにも何とも言えないこそばゆさを感じます。もちろん私も戦後すぐの雰囲気など実感としてはまったくわからないのですが、どこかこの北川や先輩にリアリティのない浮ついたところが感じられ、さらに、なぜその教授は自分で対応せず先輩を紹介したのかとか、北川の読書量や能力がすごすぎないかとか、それぞれ存在感のある人物として書ききれていないんじゃないかという感じがします。

この後、北川と手紙の女性との文通がこの小説の本筋となっていきますので、ここまでは、その環境を整えるためのつじつま合わせの作りごとのような感じがするということです。

 

この感覚を持ちながらよく最後まで読み終えたなと自分ながらに思うのですが、多分何かあるのでしょう。自分ながら無責任な言い回しですが、おそらく、それはこの小説には誰にも否定できない正論が書き綴られているからだと思います。

 

それは何かと言いますと、「戦争」は悪であり「平和」は善であるという真理、そして、その善である「平和」はどれだけ血が流されても決して実現されることはないだろうという、もうひとつの真理です。

 

先輩の失踪がもとで引っ越すことになった北川は、もう終わったと思っていた件の手紙の女性レナータから、お礼の手紙と書籍類『アメリカ合衆国共産党史』や徴兵反対全米委員会の作成物やクエーカー教徒の平和活動を記したものなどを受け取ります。

北川は、彼女がクエーカー教徒であり、平和主義者であることを知ります。こんな詩(といっていいかどうか…?)が綴られていたこともあります。

平和はわたしの人生を導く
平和はわたしを魅了し
平和はわたしを誘惑する
わたしは平和に誘惑され
遠い世界へ連れていかれる
(以下略)

 

これ以降、北川は、レナータの「平和」への強い思いに引きずられるように、もともとさほど深く考えてもいなかった平和や反戦に傾斜し、労働運動にも参加するようになります。1952年の血のメーデーにも参加したとの記述があります。

 

文通は次第に個人的な事柄に及ぶようになり、レナータがユダヤ系ドイツ人で、ナチスの迫害にあい、クエーカー教徒に救われたことから改宗し、アメリカに渡ったことを知ります。

一方、北川からは、子供の頃空襲にあい逃げまわったこと、広島の被爆者を見たことがあること、そして、自分が軍国少年であったことを正直に書き綴り、それが一夜にしてひっくり返り、今は軍国少年であったことを恥じている、一生をかけて償うと送ります。

 

北川自身が語っていますが、北川はレナータに異性を感じていたということであり、レナータに好かれるように自分を作っていたということです。書き出しに「世界で唯一の原爆被爆国の一国民として、また一平和運動家として、…」などと書くにようになっています。

 

この小説の特徴として、これはおそらく著者の意識の強い現れだと思いますが、ある主張を述べるとしますと、必ずそれを打ち消す意味合いの言葉を続けたり、ある行き過ぎた行動がなされたとしますと、必ずそれを恥じたり償うような言葉が続きます。

つまり、この小説は、北川やレナータという人物が描かれているのではなく、その二人によって著者の思い(正論)が語られているのだと思います。

おそらく、わたしが抵抗を感じるのはそのあたりで、北川やレナータという人物が立ちのぼってこないのに、その観念だけがふわ~と覆いかぶさってくるような息苦しさを感じるのだと思います。

 

さっと物語の続きを書いてしまいますと、時は移り1965年になっています。アメリカは前年のトンキン湾事件を契機に北爆を開始し、泥沼のベトナム戦争に突入しています。

ある日、北川は、新聞で、NY発の記事として、ドイツ生まれの未亡人がベトナム戦争に反対して焼身自殺をしたとの記事を目にします。同時に「婦人の名はレナータ・ヴァイスさん(74歳)」の文字が目に入ります。

 

北川は動揺します。一度も会ったことがないとはいえ、愛を感じるまでになっている女性が焼身自殺をしたことはもちろんのこと、それにもまして、その女性が74歳という高齢であったことにです。実は、二人は写真を交換し、北川が受け取ったレナータの写真は幼い子供を抱いていたとはいえ北川とさほど変わらない年齢にみえていたからです。

 

ここでも北川は、レナータの死を悼むことよりも自分は騙されていたのではないかと思い悩んでいることを、自ら軽蔑すべき人間と自責することによってエクスキューズしています。

 

そんな折、北川は、最初の手紙にあった早稲田の教授の訪問を受けます。自分が先輩になりすましたことを責められるかと恐れますが、その教授は思いがけなくも、北ベトナムからの招待を受けている反戦団体の通訳として北ベトナム視察団に同行してくれないかとの依頼を受けます。そして、レナータの娘からの手紙を手渡されます。

そこには、レナータが亡くなるまでの二日間、北川の名前を呼び続けていたこと、北川の手紙を体に巻きつけて焼身自殺におよんだこと、そして、手紙にある「平和」とはすなわち北川のことだったと記されていたのです。

 

「平和」をただひたすらに求めるこの心は、不毛でしょうか。
わたしはもうこれ以上、「平和」を求めるべきではないのでしょうか。
わたしは疲れました。「平和」を思い「平和」を手にしたいと願い、求めることに、わたしは疲れました。疲れ果てています。ときには死にたくなるほどに。

レナータの遺書ともいえる最後の手紙です。

 

そして後半、北川は北ベトナムへ向かいます。北ベトナム政府の案内により、アメリカの仕掛けた戦争によって荒廃した国土、北爆によって傷ついた子どもたち、夫や兄弟を失った女たちの悲痛の証言などを嫌というほど見せつけられます。

 

しかし、帰国を前に北ベトナム政府が開いてくれた送別会の夜、北川はとんでもないものを見てしまうのです。疲れと飲み過ぎで気分が悪くなった北川は、いっそのこと吐いてしまおうとホテルの裏手に出るのですが、そこに鬱蒼として森に続く小道を見つけ、何気なく先に進んだところ、何やら人のうめき声が聞こえてくるのです。

それは地面にある排水口のような鉄柵の中から聞こえてきます。覗いてみますと、そこは地下の独房のような空間、そこには立ったまま身動きができないくらいの人間が押し込められているのです。おそらく、思想犯や捕虜なのでしょう。

 

帰国した北川は、レナータからの手紙を抱え、ひとり山に向かいます。洞窟に入り、レナータと同じように手紙を体に巻きつけて、自ら灯油を浴び火をつけるのです。

 

レナータと同じように絶望したということなのでしょう。

 

んー、どうなんでしょう? こうやって読後の感想を整理するためにも書いてはきましたが、やはり、歴史年表を見ながら机の上で書き上げられた現実感の乏しいファンタジーのような話です。筋は通っているのですが、観念的すぎて心が動きません。

 

小手鞠るいさん、1956年生まれですので、戦後11年目くらいの生まれで、北川が焼身自殺したとしている1966年12月12日は、10歳、ベトナム戦争の記憶もないかも知れません。

 

ある晴れた夏の朝

ある晴れた夏の朝