平野啓一郎著『ある男』 城戸は偽善者との読後感になってしまった…

ある男

ある男

 

 

ツイッターでフォローし始めたこともあるのでしょうか、デビュー作以来読んでいなかった平野啓一郎氏ですが、『マチネの終わりに』に続く二作目『ある男』です。

 

テーマは、他の人間の人生を生きる、他人に成り変わるといったことで、具体的には戸籍を交換した人物を描いています。実際そうしたことが可能かどうかは別にしても、誰にでも自分じゃない人生を生きてみたいという欲望はあるものです(ないか?)が、この小説の場合は、過去を消したいと切実に願う男の話です。

 

この小説には「序」という導入部分があり、その内容がかなり思わせぶりで何だか面倒な話だなあと構えてしまいますが、読み終わってみますと、割と単純(ではないか?)な話で、なぜこんなものをつけたのか、なくてもいいじゃないのにと逆に気になってしまいます。

 

これから語る物語は、著者である平野氏が偶然バーで出会った人物から聞いた話だよと始まるんです。出会ったその日、その人物は最初偽名を使い、すぐに実は偽名を使いましたと謝罪して、本編の主人公となる弁護士城戸を名乗り、戸籍を交換した男(たち)の物語を語ったというわけです。

平野氏自身京大の法学部を卒業していますので当然弁護士の守秘義務のことはわかっているわけで、さらに続けて「「守秘義務」から城戸さんが曖昧にしか語らなかったことを自ら取材し、想像を膨らませ、虚構化した」と書いているのです。

 

もちろんこの序自体が虚構なんでしょうが、なぜこんな取ってつけたような始め方をしたのか、どういう目的なのかよくわからないですね。マジで守秘義務などということを考えているわけではないでしょうし、著者である「私」はこの序だけにしか登場しませんので二重構造にしようとしたわけでもないでしょうし、何なんでしょうね? 考えられるのは、この城戸自身が城戸ではないかもしれないということを匂わせているくらいでしょうか。

 

なぜこんなことに引っかかっているのか、自分でもわかりませんが、とにかくそれだけ余計なものと感じたんでしょう(笑)。

 

城戸は、以前離婚調停を担当したことがある女性里枝から、再婚した夫「谷口大裕」が事故で死亡し、その兄恭一に連絡したところ、夫は谷口大裕ではなく、誰だかわからないとの相談を受けます。さらに、恭一によれば、夫が語っていた生い立ちなどには間違いはないらしく、つまり、その男は谷口大裕から過去そのものを受け継いでいたということになります。

 

考えてみれば、こういうことって不可能じゃないですね。今ではマイカードという面倒なものがありますが、それでも住民票台帳にも戸籍にも顔写真があるわけではないですし、仮にあったとしても年齢で更新できるわけではありませんので、やろうと思えば不可能じゃなさそうです。

 

で、物語は、城戸が、「ある男」は一体何者で、どのようにして他人の名を語ることになったのかを探っていくわけです。

 

その答はさほど深い話ではありません。

そんな身も蓋もないことをということなかれ、ということでもなく、(私の勝手な)実は、この谷口大裕の経緯自体は主要なテーマではなく、むしろ40歳前後、いわゆるアラフォーの(この場合)男である城戸自身の、一般的には人生の折り返し点に達した者が抱える人生の迷いがこの小説の真のテーマなんだろうということです。

 

ですので、いきなり謎の答を書いてしまいますと、自らの過去を消したい人物が二人います。「ある男」と谷口大裕です。まず「ある男」は、戸籍交換を請け負う人物を介して谷口大裕と戸籍交換します。その後、「ある男」となった谷口大裕はその名の過去が気にいらなくなり曽根崎義彦と戸籍交換します。ですので、

  • ある男 -> 谷口大裕
  • 谷口大裕 -> 曽根崎義彦
  • 曽根崎義彦 -> ある男

となります。

 

あれ? 何か違っているかな? それに、こんなこと書いても無意味ですね(笑)。要は「ある男」がなぜ過去を消したかったかということで、それは、「ある男」である原誠の父親が残虐な殺人犯だからです。そして谷口大裕の方はといえば、家庭内、特に兄恭一との確執が主な理由です。

 

この小説には、殺人犯の子どもとなった者の苦しみは描かれていません。谷口大裕の悶々としたやりきれなさも描かれていません。城戸視点の小説(一部は異なる)ですから当然ですね。

 

で、城戸とはどういう人物かといいますと、在日三世ですでに本人は帰化しています。本人の意識としては日本人という環境で育っており、特に虐めにあったとの記憶もないと語っています。ただ両親は韓国籍(だと思う)のままで、結婚式にはおばさん(だったかな?)がチマチョゴリを着て出席したいと言っていたなど、意識せざるを得ません。また、結婚に際して、妻香織の両親にもわざわざ在日であることを特別のこととして話さざるを得なかったようです。

 

人物像としてはリベラルな常識人といった感じで、東日本大震災の被害者への思いからボランティアで支援したり、ヘイトスピーチに対しては怒りもありますが、むしろやるせなさでたまらなくなったり、といった極めてまっとうな人物です。香織も仕事を持っていますので、家事もしますし子育ても可能なことはやっています。

そんな城戸から見える香織は、社会のことよりも子供のこと、家族のことを重要と考え、城戸のことを理解しようとしないように見えています。子供に対しても愛情がゆえの厳しさで、城戸自身はもっと自由に育てればとかすかな不満を持っています。

 

城戸は「ある男」を追う過程で次第に自分自身の人生に本当にこれが自分の望む人生かと迷いをもち始めます。その迷いは谷口大裕の元恋人美涼(みすず)への異性としての好意として現れます。

 

ただ、実際に行動にあらわすことはありません。まったくもって男は汚い(笑)という展開にしているのですが、ラスト近く、現在曽根崎を名乗っている谷口大裕に会う際、美涼も会いたいと言い、二人で新幹線で宮崎に向かいます。車中、美涼に、実はここずっと好きな人がいた(過去形)、その人は知的で、これまで出会ったことがない人だと言わせ、さらに、あるいは城戸がそれに応えてくれるのではないかとの素振りをみせさせるのです。

そんな美涼に対して城戸がどうしたかといいますと、それが自分のことであるとわかっていながら、また一瞬それに応えてみようかと心の中で色気(?)を示しながら、結局無視するのです。

 

ひどい男ですね。さらにこの城戸がひどいのは、じゃなくて(意図的に)ひどいのは著者である平野氏なんですが(笑)、妻である香織の方に浮気をさせているのです。

 

人間は40歳前後に自分の人生に迷いを持つもので、多くの場合それは異性に向かいます。

 

それはそれとして、この城戸という人物ですが、常に自分は正しく真っ当に生きており、あるいは自分がその道を踏み外すかもしれないときにも、リスクを負うのはすべて自分以外の人間というなんとも嫌な人物です。

 

と、私には、この『ある男』とは偽善者である城戸自身のことではないかと読めてしまったのですが、どうなんでしょう(笑)?

 

もし、平野啓一郎氏がそれを意図して書いたものであるのなら大絶賛の作品です。あるいは「序」にそうしたことへの何らかの意図を込めたのかもしれません。

 

マチネの終わりに

マチネの終わりに