梯久美子著『狂うひと』島尾ミホ『海辺の生と死』

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

 

映画「海辺の生と死」を見て、島尾ミホ著『海辺の生と死』や島尾敏雄著『死の棘』とあわせて読みました。

 

 

この『狂うひと』は、島尾ミホさんの評伝という位置づけになるかと思いますが、かなりの力作で、ある種神話的に語られてきた島尾敏雄、島尾ミホ夫妻の関係、つまりそれは、男の側から語られ作られてきた神話なんですが、それを戦中戦後、そして世紀をまたいで生き抜いた「ミホ」という生身の女性の側から捉えなおそうとした試みではないかと思います。

 

男の側からの神話的な言説というのは、特攻隊長と島の女ということからくるものですが、その典型として、著者は奥野健男と吉本隆明の捉え方をあげています。

 

奥野健男は、『死の棘』論において、

夫は故郷の島を守るために海の彼方ヤマトから渡って来た荒ぶる神であり、稀人である。それ故にユカリッチュの家に生まれ、(略)ノロ信仰の島を治める巫女の血を引く、この誇り高い島の長の娘が、島人の心を代表して、ニライカナイの神、稀人の妻として仕えた。(『群像』昭和52年1月号 奥野健男『死の棘』論ー極限状況と持続の文学ー」より)

と書いていると紹介されています。

 

また、吉本隆明は、

妻は夫が奄美の加計呂麻島に、特攻基地の隊長であったときの島の少女だった。その位相はニライ神をむかえる巫女のようだ。また島に君臨する最高支配者をむかえる島の上層の神女のようだった。(昭和50年『吉本隆明全著作集9-作家論Ⅲ」所収「<家族>」より)

と書いているそうです。

 

著者は、そうした「ロマンティックな見方」に対して、

彼女は代用教員とはいえ教師であり、東京の高等女学校で教育を受けた、当時としてはインテリに属する女性だった。

し、

信仰の面で言えば、ミホは幼児洗礼を受けたクリスチャンである。 

と書いています。また、

吉本はミホを「島の少女」と表現している。(略)奥野もまた(略)ミホを「少女」としている。しかし島尾と出会ったときのミホは満年齢で二十五歳である。

として、奥野や吉本の「ロマンティックな見方」に異を唱えています。

 

まあ、事実がどうであったかはもちろん重要なことですが、それよりも、日本文化論が必ずといっていいほどそうした文脈で語られてきたということであり、吉本隆明にしてもそうなのかということだと思います。

 

当然ながら、加計呂麻島に駐屯していた島尾隊は決して島の住民を守ろうとしていたわけではないですし、その後の島尾敏雄氏の行状を見れば、もっと単純に、(文学、あるいは芸術上)よくある「死」を目の前にした男女関係とみるほうが自然だと思います。

 

島尾隊長にしてみれば、特攻の命が下らなければ、ほぼ毎日やることなどないわけですし、ミホにしてみても、今では想像もできないくらい日常と死が近いものであったことを考えれば、二人が結ばれることにさほど(心の)障害はなかったのではないかと思います。

 

もちろんそうした神話が生まれた(生んだ?)のは、のちに結婚した二人の間に起きた『死の棘』事象、つまりミホが『狂うひと』となったことと出会い当時の「稀人と巫女」的関係の逆転が、実に文学的だからではありますが。

 

この梯久美子さんの『狂うひと』は、こうした加計呂麻島での二人の出会いを「戦時下の恋」として、様々な資料や本人への取材を元に「神話」としてではなく「事実」として書き起こすところから始め、ミホが狂気に至った発端となった敏雄の日記もミホが見ることを予想して(見るように仕向けて)書いたのではないか、つまり敏雄は小説を書くために、ミホの狂気は予想しないまでも小説の題材にしようとしていたのではないかと解き明かしていきます。

 

そして、『死の棘』事象を経て、その関係、つまり「書く男(敏雄)と書かれる女(ミホ)」であったものが変化し、ある時からミホは「書く女」に変化したといいます。

 

実際、島尾ミホは作家として『海辺の生と死』を始め何作か書いていますし、著者によれば、島尾敏雄著『「死の棘」日記』もかなりミホの手が加わっていると言います。

 

『死の棘』事象であるミホの狂気については、この本の書き出しに、著者がミホ本人からの言葉として書いている

「そのとき私は、けものになりました」
まるで歌うように島尾ミホは言った。細いがよく通る、やや甲高い声。
「ゥワァァーーッと、お腹の底からライオンのような声が出ましてね。そのまま畳にはいつくばって、よつんばいで部屋を駆け歩きました。そして、ハァーッと言って倒れたんです」 

につきます。

 

で、「そのとき」というのが、

「島尾の留守中に掃除をするために仕事部屋に入ると、開いたままの日記が机の上に置かれていました。そこに書かれていた一行が目に飛び込んできて、その瞬間、私は気がおかしくなりました。それはたった十七文字の言葉でした。いまも一字たりとも忘れていません。死ぬまで消えることはないでしょう」 

と、著者が、敏雄が見るように仕向けたという日記の17文字を見た時なんですが、この本を読んでも最後まで明らかにされません。

 

その日記自体が破棄されたということであり、ミホ自身も明らかにしなかったとのことで、さらに言えば、本当にあったのか、十七文字であったのか、興味はあってももう闇の中ということです。

 

これについて、寂聴さんが「私は不倫の相手の性の喜び方とか、性器の賛美とかではないかと臆測」(朝日新聞)しているらしく、寂聴さんらしくてこちらの方が面白かったです。

 

海辺の生と死 (中公文庫)

海辺の生と死 (中公文庫)