加藤典洋著「戦後入門」読中読後メモ(5)

加藤典洋著「戦後入門」読中読後メモ(4)の続きです。

戦後入門 (ちくま新書)

戦後入門 (ちくま新書)

 

やっと加藤氏の提案にたどりつきました。提案は、「憲法九条」「核」「米軍基地撤去」の三項目からなっています。そのいずれの提案も、新しい考えからの提案ということではなく、戦後70年を分析し平和な社会をどう築くかと考えた場合、この方法しかないという消去法で語られるものです。

憲法九条を改正する

まずは戦争放棄を謳った憲法九条をどうするかです。

国連中心主義に憲法九条の実現の道筋を見る

ドナルド・ドーア著「『こうしよう』といえる日本」(1993年)をベースにして論を進めていきます。

「こうしよう」と言える日本

「こうしよう」と言える日本

 

憲法第九条と国際連合は、第二次大戦終結後から冷戦が始まる前の一年半に生まれた双生児的構想であり、対米自立と平和のための国際協調を両立させるためにはそこに活路を見出す以外に方法はないといいます。

つまり、国際秩序の構築に積極的に関与することで対米自立を成し遂げるという方法論になります。その裏には、ナショナリズムに立脚した対米自立は、反米に結びつき戦後国際秩序からの離脱を意味することになるからといいます。

 2012年12月以降の自民党政権の徹底した対米従属主義の外装のもとでの復古型国家主義的な政策の追求に、何としてでも歯止めをかけたい

 2012年12月とは第二次安倍政権が発足した年です。

なぜこの政権が支持を集めているかについては、上の文献を引用しつつ、日本人の「誇り」への欠乏感、飢餓感をあげています。

「誇り」とは、他者との関係であり、たとえば外国人に接した時に「日本に生まれてよかった」と感じる感覚であり、戦後政治システムである経済ナショナリズムが破綻し、「失われた20年」を経た今、国民の「誇り」への渇望に対し、安倍政権がひとつのモデルを提示しているからだということです。

そのモデルとは、「誇り」を、他国との関係を必要としない、あるいは一方的に他国から尊敬賞賛を受けることととらえる一方向的関係であり、「日本会議」に代表される考え方であり、加藤氏は、この方法でやっていくことは不可能だといい、その理由に、

  • 復古型の国家主義を目指すことであり、戦後の国際秩序と激しくぶつかり、日本は孤立する
  • 対米従属を解消できない

と語り、では、

「誇り」を回復する可能な方法は何か?

との答えはひとつしかないとし、それは、

他国との関係を深める中から、謝罪すべきは謝罪し、敬意と尊敬を得る双方的関係を築くため、平和主義に立ち戻り、「誇りある国づくり」を目指すということになります。

憲法九条を国連の理念とコンパチブルな形に整合化しつつ、ともに憲法制定時・国連設立時の理念を実現すべく国連に積極的に介入していく「国連中心外交」にほかなりません。

その方法論は「憲法九条の改正」により対米自立を果たし真の独立国としての「誇り」を取り戻すことであるといいます。

九条改正案

第一項は現在のまま残します。

一、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

二、以上の決意を明確にするため、以下のごとく宣言する。日本が保持する陸海空軍その他の戦力は、その一部を後項に定める別組織として分離し、残りの全戦力は、これを国際連合待機軍として、国連の平和維持活動及び国連憲章第四十七条による国連の直接指揮下における平和回復運動への参加以外には、発動しない。国の交戦権は、これを国連に移譲する。

三、前項で分離した軍隊組織を、国土防衛隊に編成し直し、日本の国際的に認められている国境に悪意を持って進入するものに対する防衛の用にあてる。ただしこの国土防衛隊は、国民の自衛権の発動であることから、治安出動を禁じられる。平時は高度な専門性を備えた災害救助隊として、広く国内外の災害救助にあたるものとする。

軍隊の「治安出動を禁ずる」はかなり評価できますね。

核の廃絶 

ここでも、ロナルド・ドーア著「日本の転機」をベースに論を進めます。

日本の転機―米中の狭間でどう生き残るか (ちくま新書)

日本の転機―米中の狭間でどう生き残るか (ちくま新書)

 

核ゼロを目指す「核廃絶」は、今や9カ国が核を保有する現在、不可能であるといいます。 9カ国とは、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮です。

核のない世界に戻ることは不可能であり、将来、世界戦争が起きれば必ず核は使われると考えるべきであり、そうであるなら、核兵器「行使」のない世界を目指すことが「核廃絶」につながるといいます。

「核拡散」による核の国際管理

これは、どの国も核兵器を持てるが、求められればどの国にも核の傘をさしのべなければならないという考え方です。つまり、

  • すべての国に核を持つか持たないかの選択が自由になる
  • 現在の核保有国の戦略的優位性が際立って減衰する
  • 非核保有国になっても、いずれの国にも「核の傘」の提供を要請できる

となり、世界中を「核抑止」力で覆うことで「核を行使」することができなくなるという理屈です。

九条に非核条項を追加します。

九条改正案ー非核条項

四、今後、われわれ日本国民は、どのような様態のものであっても、核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず、使用しない。

さらに、

そこで日本は、これらの積極的な国際社会への関与を背景に、米国に対して、戦後始めてとなる原爆投下に対する抗議と、謝罪要求を行うのがよい

といいます。ただし、

この謝罪要求には、当然ながら、これまで他国からなされている日本への謝罪要求に誠実に応じるという行為が先立たなければなりません。すなわち、中国からの南京虐殺事件等をめぐる謝罪要求、韓国からの従軍慰安婦等をめぐる謝罪要求に、正当な謝罪を含む誠実な対応と、侵略の事実をしっかりと認めたうえでの二度と同じ過ちを繰り返さないための施策の提示を行う必要があります。 

米軍基地の撤去 

ここでも一冊の本から考えを進めていきます。 

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

 

今の日本に基地を撤去し主権を回復することなど出来るのか? 

先行モデルとしての1987年のフィリピン憲法改正に倣うことだといいます。

  • 憲法に基地撤廃条項の書き込み
  • 対米交渉~アメリカからの恫喝、懐柔策
  • 長い交渉の末、1992年11月アメリカ軍撤退

フィリピンモデルから得られる教訓は、

  • アメリカ軍の駐留がその国を守るためではないこと
  • 基地の具体的な取り決めは、議会での審議などが必要な条約ではなく、行政官によって決定できる行政協定(地位協定)により行える状態を打破すること
  • 基地撤廃による経済損失の考え方がまやかしであること
  • 2000年代の中国の海洋進出による新たな協定調印を「回帰」とみることは誤りである
    →「限定的軍事協力」とみるべき
    →共通の利害があれば、対等な協力関係を築くことは可能とみるべき

九条に基地撤廃条項を追加します。

九条改正案ー基地撤廃条項

五、前四項の目的を達成するため、今後、外国の軍事基地、軍隊、施設は、国内のいかなる場所においても許可しない。

以上が、加藤氏の憲法九条改正案です。

この章までは、(屈折した)反米的立ち位置が全面に出ている感じで、安倍政権へのスタンスがあまり明確ではなかったのですが、「おわりに」では批判しています。

安倍政権=日本会議批判 

  • 「誇りある国づくり」の価値観が、日本中心主義で戦後国際秩序に合致していない
  • 対米協調路線が、日本中心主義の「誇りづくり」とぶつかり破綻する
  • これまでの日本の平和構築路線と連続性を持っていない
    →対中敵視政策による国際緊張を高める
    →信頼関係を築く相手をアメリカ以外に持っていない
  • 排外主義による社会的、経済的、国際的損失が大きい

ということで、やっと読了です。