桜庭一樹「私の男」男には優しく、女には厳しい

映画の感想でちょっとばかり書きすぎているかも(笑)と反省し、原作を読んでみました。

「私の男/熊切和嘉監督」二階堂ふみばかりをフィーチャーしすぎてドラマ自体が不明確になってしまった アイドル映画のようだ – 沈黙する言葉

私の男

私の男

 

こういう話、というよりも、こういう作りの小説なんですね。

六つの章が、時間軸とは逆に過去へ遡るように構成されています。さらにそれぞれの章の語り手が同じではなく、花24歳の第1章は「花」、花が後に結婚することとなる美郎と出会う21歳の第2章がその「美郎」、淳悟が田岡を殺す、花高校生の第3章が「淳悟」、花が大塩を殺す、その半年前の第4章が「花」、花12歳の第5章が淳悟の恋人「小町」、そして花が津波で家族を失い淳悟に引き取られる花9歳の第6章が「花」といった具合です。

別冊文藝春秋に連載されたものの単行本化のようですので、多分一年近くに渡ってこの順序で書かれたものなんでしょう。

すでに映画で物語の全体を知っているからかも知れませんが、それぞれの章は読みきりでもさほど違和感はなく、結構ツッコミどころは多いのですが、謎が気になって仕方がないといったつくりでもなく、その意味では語り手を変えていることは成功しているように思います。

仮に、この物語の全てを花あるいは淳悟の語りで書いていれば、当然、父娘の関係に比重が置かれることになり、近親相姦や性虐待というそもそもの核心に迫らざるをえなかったでしょうし、「家族」や「愛」などというきれい事で済ますことはできなかったでしょう。

それに、この物語では二人の人間が殺されていますが、仮に時間軸に沿った展開にすれば、それらについても適当に済ますわけにはいかず、この程度のプロットでは筋の通ったものにはならなかったでしょう。

結局、このふたつの手法により、さほど深く何かに迫ることをしなくとも、またさほどしっかりした物語性がなくとも、そこそこ読み甲斐のある作品になっているのだろうと思います。

それにしても、全体のトーンとして、男には優しく女には厳しいですね。

で、映画ですが、この原作を時間軸に並べ替えて、ほぼ原作通りに映画化すれば、そりゃ、ああなりますね。そもそも原作自体に一貫した流れのようなものがないのですから、そりゃ、ぶつ切れ感が出てしまいますね。そもそも原作自体に子どもへの性虐待視点がないのですから、そりゃ、ああなりますね。

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